木曜日, 9月 02, 2004

完璧はあり得ないのだが・・・

愛用しているタブレットにも苦手な処理がある。いや、酷使しているからというべきかも知れない。例えばスケール調整の微妙なさじ加減が苦手である。 ZBrushなどの縮小処理では如実で、この処理の時だけはマウスを使っている。また、Illustratorで方向線を調整しようとするときに方向線の 先端のポイントを選択することがとても難しい。理由はわからないが、単に選択するだけなのに、ほとんど絶望的に出来ない。それでも最近はかなりの確率で ヒットするようにはなったが、ストレスは相当高い。これらの現状から、タプレットの利便性であるデリケートな筆圧感知が災いしているような気がする。結局 まだほんの少しだけマウスを完全に棺桶に葬り去ることは出来ないということだ。たとえばキーボードの代用品は色々と出ているし、それぞれ一長一短あるが、 どれもキーボードの継承者ではない。なぜなら全てのマシンに付属しているキーボードというディバイスの普及率に背を向けることは出来ないからだ。サイズを 利便性を犠牲にせずに小さくするといったことは可能だろう。しかし変則的なキーボードはローカルな利用方法でしか理解されないし、認められないだろう。一 番いけないのはメーカーがユーザーの利用環境を設定してしまうことだ。偶然それが受け入れられるものならいいが、ダメなケースの方が明らかに多い。例えば 昔は私も親指変換キーボードの利便性を支持する一派であった。これはオアシス変換(私はとうとうコレに馴染めなかった)ではなく、JISキーボードに親指 の位置に変換キーを設定した変則JISキーボードである。これに慣れていると恐ろしく速くキーボードを打つことが出来る。初期のMacintosh用にも アスキーから販売されていたが、結局一部のマニアのモノという状況で市場から淘汰されてしまった。良い思想の製品が確実に売れるわけではないのである。だ から今売れている工業製品も、妙な色気をだして変な機能を追加したりすると崖から転がり落ちてしまったりするかもしれないわけである。と、抽象的に逃げ る。(column: 1621)