金曜日, 1月 02, 2004

リアクションの多さに驚く

年賀状事件の顛末は予想外の結果をもたらした。それは大きかったということだ。そんな中で『事務的な年賀状を送るよりは・・・』という私の説に共鳴される 方が多かったことには驚いた。現代という時の流れの中にいる日本人で、年末年始にじっくりと年賀状を毛筆で、あるいは万年筆津でしたためるということが、 いったいどれほどの人に出来るというのだろう。多くの方は受け取るのならメールよりも葉書と思っているそうだ。しかし、その多くの人達は素材集を利用し、 手持ちのプリンタで印刷したものをせっせと送っているだけではないだろうか。それが私のように印刷したものであっても大きな違いはないような気がする。そ して、仮に個別にコメントを手書きで添えたとしても、それは挨拶の域を脱していないような気がする。厳しすぎる意見だとは思うが、どう考えても儀礼化して しまった年賀状が本当にありがたいものだとは到底思えない。そして、それをせっせと繰り返してきた自分になんとなく後ろめたさを感じていたのである。そう 考えてみると私にとってもっとも充実していたのは小学校6年前後の年賀状だったかも知れない。投函数は当然嫌な奴を除いたクラスメイト中心なのでたかがし れている。だから、好きな友達への挨拶状なので力を入れて全て絵柄の違う手書きのイラストで決めていたりした。もちろん稚拙なイラストではあったが、やっ ぱり情熱は込められていたのだから重厚であったはずだ。そんなことを思い出しながらが、海外からのクリスマスカード兼ニューイヤーカードの殆どがワンポイ ントコメントで決められているのに、薄っぺらなイメージが少ないのはどうしてだろうかと真剣に比較検討してしまった。結果これは文化の違いというよりは、 センスの違いなのかもしれない。シャイな日本人の書くワンポイントメッセージが経験不足からくるセンス不足に繋がっているのではと。もちろんこれは私自身 へのコラムである。(column: 1441)