火曜日, 11月 23, 2004

毎年恒例のバザーに参加

毎年恒例行事(実はもうひとつ恒例参加しているバザーがあるのだが、今年は日程的にどうしても参加できなかった)としてで参加しているある学校のバザーに 出かけてきた。ついつい手作りの心のこもった品々に財布の紐は緩みっぱなしだが、町を歩くと人の善意に付け入る胡散臭い募金が目立つ昨今、心づくしをした いと思ったらこういった場所で手作りのものを買うようなことぐらいしかできないのが今の日本の実情だろう。それぞれの人ができる範囲で協力しあうという世 界はこころが和む。もちろん当日参加して何かを買うというだけの参加ではない。我が家からもなにがしかの品物を提供している。読み終えた書籍や手作りの小 物、未開封のタオルや石鹸といった具合に色々だ。考えてみれば大昔はこういった物々交換的な市が普通だったのだと考えると不思議な気分になる。さてさて、 それでふと思ったことがある。私のようにコンピュータを利用してデザインやイラストを描いている者からは膨大なゴミは出ても、誰かに喜んでもらえるような 余り物は出ないという点だ。膨大なゴミの上に出来上がった成果物としてのデータからまたまた印刷された膨大なゴミが生まれちゃうのである。もちろん全部が ゴミではないかもしれないが、裁断時に出る端だけでも凄いことになっていることに、どれだけの方がきがついているのだろうか。なんとなく複雑な気持ちに なってしまうのである。なにせ否定すれば生活できないわけだから。 (column: 1671)