木曜日, 4月 17, 2008
川内康範さんを偲ぶ〜で火が付いた「昭和30年代」
4月6日に急逝した川内康範さん。慎んでご冥福をお祈りします。私にとって完全に昭和という時代が終わってしまったぐらいの衝撃です。で、川内康範さんと言えば、1958年にTV放映された月光仮面の原作者であることを知らない日本人は居ないでしょう。月光仮面はヒーローものの走りというだけでなく、劇中で商品をさりげなく紹介するなど、その後の広告宣伝界に大きな影響を与えています。しかし、私はその翌年に公開された七色仮面(なないろかめん)の印象が圧倒的に強いのです。低予算でヒットした月光仮面の影響で、東映がTVドラマにも拘わらず本編(映画)用として撮影し、ストーリーも初代月光仮面(蘭光太郎/波島進)は完全に大人向けと言っても過言ではない内容だったからです。つまり完全に当時の映画作品レベルだったわけです。もっとも、子どもには難しすぎた故、ストーリーは二代目月光仮面(蘭光太郎/千葉真一)で子ども向けに大きくシフトしてしまいました。で、この作品に思い入れが強いのは、この作品が多羅尾伴内(たらおばんない)そのものだからです。多羅尾伴内とは私立探偵藤村大造(ふじむらたいぞう)の別名。「ある時は〜またある時は〜しかしてその実態は〜」の決め台詞はあまりにも有名。戦後、GHQ(General Headquarters/総司令部)の無知による馬鹿げた指示により時代劇を作れなかった時代、大映が、時代劇の看板俳優であった片岡千恵蔵(かたおかちえぞう)に現代劇を当てた作品で、評論家の予想を裏切り国民的に大ヒットしたのがこの多羅尾伴内シリーズ(※1)で、1946年〜1948年に大映から『七つの顔』『十三の眼』『二十一の指紋』『三十三の足跡』の4作品が発表され、その後、大映を離れた千恵蔵が東映に移り、1953年〜1960年に『片目の魔王』『 曲馬団の魔王』『隼の魔王』『復讐の七仮面』『戦慄の七仮面』『十三の魔王』『七つの顔の男だぜ』の7作品が公開されています。片岡千恵蔵のもう一つの当たり役である入れ墨判官・東山の金さんのラストの台詞に大きく影響したと言われています。で、写真は最初の作品である『七つの顔』ですが、東映時代の作品の方が台詞も型にはまって凄い迫力ですね。ちなみに、1978年に小林旭主演による多羅尾伴内シリーズが2本作られましたが、多羅尾伴内と言えば片岡千恵蔵しかないでしょう。ただ、意味もなくタバコを吸うシーンが多く、今見るとちょっとキモイです。しかし、制約でがんじがらめになっていると名作が生まれるものだと痛感。今は何でも簡単に出来てしまうので逆に難しい時代なのかもしれません。
※1「七つの顔の男」シリーズまたは「藤村大造」シリーズと呼ばれることもあるようですが、やっぱり多羅尾伴内シリーズですね。
てなわけで唐突ですが、昭和30年代(1950代後半〜60代前半)のTVドラマおよびアニメに特化したネタのコーナーも作ることにしました。永遠の研究テーマかもね。変な資料は色々有るので面白いかも。