日曜日, 2月 22, 2004

天の邪鬼は避けたい

やりたいことは単純で、ソフトウェア自身もほとんど単機能というお気軽な条件にもかかわらず、操作方法がさっぱり分からないものに現在2つばかり遭遇して いる。英語版だからということではない。ちょっと甘く見ていたようだ。心して対応しないとまずいかもしれない。しかし、昔からこういったキワモノインター フェース系のソフトは沢山あったのに、いつのまにか駆逐されてしまった。コピューターを1つのソフトウェアだけで利用すると言うことはほとんど考えられな い。幾つかのソフトウェアを一条的に利用しなくては成らないのだからある程度の操作性は統一されていた方が親切だ。完全一致でなくても思想の統一ぐらいは あるべきだろう。そのもっとも教科書的な環境がMacintoshではないだろうか。もちろんそれとてイレギュラーのギンギンソフトウェアは存在してい る。特に3Dソフトは絶望的ともいえるほどインターフェースの自我があまりに強すぎる。スタトしたプラットホームがPC(Windows)系という場合も 影響しているかも知れない。兎に角PC環境では恐ろしい数の自我が群雄ひしめき合っている。ものを作り上げるためにアイデアを練る。その練り込みの状況は 絶対にコンピュータの前では出ない。出ないから外に出る。そしてアイデアを整理するためにコンピュータを使う。だから余計なことは出来るだけ考えたくな い。当然だろう。かくして私はPCでもMacでも同じソフトを可能な限り使うようにしている。もちろんどちらかのプラットホームにしか存在していないもの もあるが、使用するソフトが全て違った思想で設計されていたとしたら、それはもう拷問の世界といわざるを得ないだろう。(column: 1495)